鷲ヶ岳 標高1672m |
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当たらない(当てにならない?)天気予報では、週末から雨が降るとの予想であったが、又、当たらないことを願って、いろんな用事を済ませて深夜山小屋へ。 朝4時30分に一度目覚めて空を見ると快晴とまでは行かないが晴れている。 昨夜、ご飯を仕掛けて、酒を飲んで寝たのが1時30分、天気が良いのと、登る時間が短いので、もう一度寝なおして、山小屋でウグイス、カッコウの声を聞きながらゆっくり朝食を食べ、弁当の用意をして8時に出発、インターネットで調べたら立石キャンプ場からの林道が一服平にある藤原頼保公顕彰堂の祠の所まで通じていると書いてあるホームページがあったので、立石キャンプ場からの林道を行くことにする。 |
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立石キャンプ場からの入り口に「工事中」の立て看板が有るが、かまわずそのまま進入して行く工事現場は無く林道は良く整備されていて道なりに行けば、途中左側にある大きな岩が「立石」であると村の教育委員会の説明看板がある。 |
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一服平まで一本道で峠になっているところに20台くらい止められる広い広場があるが、ここからは藤原頼保公顕彰堂の祠は直接見ることができない。 私は、この顕彰堂の前を林道が通っているものと思っていたため、この広場を通り過ぎて道がどんどん下っていき道が下のほうまで続いているのが見えるのでおかしいと思い峠の広場に引き返しました。 峠には、車が通れる脇道と登山道らしきものが有り、車が通れる脇道には、車の進入を止める柵がしてあったため歩いて確認のため2分程登っていくと祠が在り、ここが登山口の一服平と確認しました。 |
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その柵は簡単に移動できるため動かしてとも思いましたが、祠の前は2〜3台が止められるスペースしかなく意地悪されて出られなくなるよりはと思い、下の大きな広場に駐車することにしました。 この決断が、後になって後悔しなくても良いことになりました。 ここの広場は、坂になっているので少し大きめの石をタイヤの下に敷き車止めにして、身支度をして、いざ出発!!! 駐車場の下から汗を拭き拭き登って来た人が2人現れました。滋賀県からこられたご夫婦でした。 鷲ヶ岳スキー場経由で桑ガ谷林道から、1時間近くかって登って来たら車が有るので目を丸くして「どこから来たの?」と聞かれたので立石キャンプ場から来た旨伝えるとそんな道があるのですかと驚いていました。 |
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一服平の藤原頼保公顕彰堂からは鷲ヶ岳の頂上が見え、階段状に丸太で整備された登山道を降りきると登山道と脇に水平に人工的に造った道がある、本来の登山道の人の足の踏み具合を見ると細かい小さな草が生えていて、ほとんど人が通っていないようです。 足の踏み跡は、人工的に造成された脇道にしっかり付いていて、こちらが本道になっているようです。(帰路はこちらを通りました) 足慣らしのため旧道を登ることにする、いきなりの急な登りでインターネットに「笹につかまりながら四つん這いで登る」と書いてありましたので、そうしないと登れないかと思いましたが、一歩一歩の階段状の踏み跡があり滑るとか笹にしがみついて登らなければならないことは頂上までありませんせした。 |
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藤原頼保公顕彰堂の近くにはいろんな標識がありここからは鷲ヶ岳の頂上が見えます近くに見えますが、1時間近く掛かります。 |
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一服平から頂上までは、笹薮の道を登るわけですが、良く整備されて薮をかき分けて登る箇所はありませんでした。 このころから登山道にはユキザサ、ツクバネソウ、ショウジョバカマ、ツバメオモトなどの植物、振り返ると、大日ケ岳、雪をまだら模様に残した白山が目を楽しませてくれる。 相変わらずの単調な上り下りの笹道を登っていくと、大きなブナの樹が横たわっている、そこを過ぎればもう笹原の頂上9時30分登頂 |
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先客が、賑やかに方位版を中心に「あれは、○○山」と確認していました。 360度のパノラマを楽しむことができました大日ヶ岳、白山、三方崩山、北アルプス、乗鞍岳、御嶽山などが良く見えました。 先客の話では、今は霞が少しかかっているが、その人たちが登ってきた時はもっと良く見えたと言っていました。 頂上で、ご一緒したご夫婦と四方山話していたら、住まいは同じ尾張地方であること、立石キャンプ場から軽四で林道を経由で来られたこと、今日、一服平で山開きの神事があり振舞酒があることなど情報交換しながら昼には早いが昼食をご一緒しました。 この時まで、一服平の藤原頼保公顕彰堂で今日山開きの神事があり振舞酒があることを知らなかったので、車止めを外して顕彰堂の前の駐車場に車を止めなかったことを嬉しく思いました。 私の持参は大きめのワッパ(木製の弁当箱)にご飯沢山、鰯の目刺2匹、梅干、漬物とペットボトルのお茶のみでしたので、ストーブご持参のご夫婦に温かいコーヒーをご馳走になりました。 今回、登った限りにおいて頂上では、ハエが多いとの情報がありましたが、弁当を食べていても、まったく居ない訳ではありませんが、気になるほど、又、ネットを被らなければならないほどいませんでした。 帰りはこのご夫婦と一緒に一服平まで帰ってきました。登りは良いのですが急な降りをトントンと降りてきたら年のせいか足腰に応えます。ふくらはぎが痛くなって???? 一番応えるのが、歩幅が合わない横木で整備された登山道の降り、でも整備されていないよりは歩き易いので贅沢は言えない。 |
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一服平の藤原頼保公顕彰堂まで来ると神事が執り行われていました。 少し神事の様子を見ていましたが、止めようと思った駐車場にはブルーシートが敷かれ宴会の準備がしてあり、その所に私の車が邪魔をしていていることを想像すると、大恥を掻き村の人たちの1年の楽しみを奪うことに!!! そうなると、想像は益々大きくなり恥知らずの車が来るので矢張り林道は封鎖すべきなどと云う事になったかも知れません。 頂上で昼食を食べていたので、お腹も空いていないし、車で来ているためお神酒も飲めないので帰ることにしました。 峠の広場で帰りの身支度をしていると桑ガ谷林道から登って来た人(何組も)が、登るときにお会いしたご夫婦と同様「何だ、車が有る??!!」と一様に驚いて「何処から来たの」と聞き、別れ際にこれも皆さん一様に「山は、苦労して登ってこそ登山」といって登っていきました。 ここで帰りご一緒したご夫婦と別れて来た道を立石キャンプ場経由で山小屋に帰りました。 |
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鷲ヶ岳 藤原頼保公について この山には、山名の由来ともなった伝説が残されています。その昔、永歴年間の頃、長良川の奥深く雲ヶ丘、今の鷲ヶ岳あたりに村人を苦しめる大鷲がいました。天皇は、武蔵権守(藤原頼保公)にこの大鷲を退治するように命じ、見事、自慢の弓と太刀でこの鷲を退治し、その鷲の子を天皇に献上したといわれています。 (岐阜県郡上市 高鷲観光協会ホームページから引用) |
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